ゲームとの心中

私は人生で2つのアケゲーに長期的に取り組んだことがある。 片方は以前からこのブログでも話題にしている音ゲー、特にIIDXだ。1 IIDXに関しては、一時期は心中する勢いでやっていた。 周りには同じような練習量で私より効率よく成果を出す人もいたし、今回詳しくは語らないが、当時現実に差し迫っていた問題から逃避し時間を注ぎ続けたため、まさに「心中」だった。 その甲斐あって、そこにたどり着くまでに少なくない人が挫折すると思われるというところまでは行ったと思う。 とはいえ、後に逃避していた問題が爆発し精神的にまいってしまい音ゲーからも離れてしまったため、心中とはならなかった。 もう片方は、以前から私を知っている人であればご存知かもしれないが、今回はネガティブな話が多くなるので伏せておき、以後Aと呼ぶことにする。 こちらに関しては期間だけで言えば4年くらい続けていた気がするが、IIDXと違って成し遂げたことはこれと言って無く、泣かず飛ばずといった感じだった。 とはいえ、一時期はAでもランカーのプレイ配信を見るなど上達のためにもがいていた。 だが、その中でふと「この人たちはこのゲームがサービス終了したらどう生きていくのだろう?」、ひいては「私は今このゲームにコミットしていいのだろうか?」と考えてしまった。 熱心なランカーの追っかけをやっていたわけではないので実際のところは知らないが、ランカー層には25〜35歳程度と思われる人が多かったように思われ、ゲームの外の現実について悩みを零す者も実際に何人か見られた。 私もAをやっていたのは20代後半だったので(なれるかは別として)「これが理想の人生なのか」と悩んでしまった。 そもそも、私はAについてはどうにも上達が遅く、ランカーですらそのようなことを考えてしまうのだから、結果を出せないまま時間を溶かしたときの後悔など推して知るべしだ。 少なくとも日本では一般的に仕事で35歳程度までにある程度の技術、経験を積まないと、その後大きくハネることは難しい。 経験を積んでいればその後もキャリアアップや収入アップを目指していくことはできると思われるが、もしその頃になって新卒に毛が生えた程度の収入だったら…。 すべての幸せが金で得られるわけではないが、金で得られる幸せ、避けることができる不幸はたくさんあるし、金だけでは得られないチャンスをものにするにも結局金が必要なこともある。 25〜35歳をゲームと心中する勢いでのめり込んで過ごすというのは、その後の人生の選択肢を大きく狭めることは否めないだろう。 とはいえ、そのような人がいたとしても私はその行いを是とすることはできないまでも馬鹿だとも思わない。 何かに打ち込み成果を出した経験は、自分の中で少なからずかけがえのないものに醸成されていく。 先に書いたように私も人生の諸々の問題全てをかなぐり捨てて音ゲーに取り組んでいたため、その後一度全てを失ったと言っていいほど悲惨な状況に陥った。 ただ、確かにその時プログラミングの学習などより有益なことに時間を注いでいれば今より良い状況にいることができたかもしれないとたまに考えることがあるが、実際今過去に戻れたとしてそうしたいかと言われると、それも悩む。 私がその後ある程度人生を持ち直すことができたから、あるいは今の自分を完全に見捨ててしまうのが嫌だからそう考えているのはあるかもしれないが、心からそう思うのだ。 だから、私は人生の重要な時期に心中と言える勢いでゲームに打ち込むことは合理的ではないかもしれないが、愚かだとか惨めだとは考えない。 だが、私は結局ゲームと心中することはできなかった。 音ゲーと心中しかけて全てを失った私の手元に1つだけ残ったものがあった。 すみっコぐらしだ。 何の冗談かと思うかもしれないが、私はこの数年間「私が死んだらこれまで迎えたすみっコが恐らく全て処分されてしまう可能性が高いので死ぬわけにはいかない」という気持ちで希死念慮を跳ね除けてきたし、すみっコを迎え続け、いずれはちゃんと飾ってやれるほどの家に住むために収入を上げることを目指してきた。 もし人生が行き詰まってこれまで迎えたすみっコを手放すことを考えたりすると身が引き裂かれるほど悲しくなってしまうので、形は歪だが背負うものができてしまい自分一人の都合でちゃらんぽらんに生きることができなくなってしまったのだ。23 当然、先細りの人生になるような選択ではなく、なるべく可能性を残し続ける選択をしなければならなくなった。 これも一種の「心中」なのかもしれないが、今のところはうまく機能している。 先に書いたように、ゲームと心中することを私は否定はしない。 ただ、結果としては、音ゲーに続けてAと心中しなくてよかったと思う。 音ゲーと心中しかけた時に思ったことだが、見えている問題から目を背け続けていると自己肯定感が終わってくるし、だんだん正気ではいられなくなっていく。 Aの界隈ではそれまでいた界隈よりも人間同士のいざこざを多く目にしたが、少なからずそれが影響しているのではないかと思う。 それでも覚悟ができているのであれば心中するのもまたいいが、「このゲームを続けた先、人生はどうなってしまうのだろう?」と悩むのであれば、一度立ち止まって考えるべきというのが私の今の考えだ。 正確には音ゲーはpop’n musicから入門ししばらくは並行してやっていたのだが、IIDXよりだいぶ前にやめてしまった。 ↩︎ それでもやがて死はやってくるのでそのとき迎えたすみっコをどうするか考えておく必要があるのだが、それはまだ答えが出ていない。 ↩︎ それでも真っ当に家庭を持っている人に比べればだいぶ好き勝手やってる自覚はある。 ↩︎

August 11, 2025 · くー

転職した

しばらく前に転職したので前職に努めていたときのことをいろいろ振り返ってみる。 企業への深堀りが足りなかった転職活動 前職には2023年の4月に入社した。 結局2年未満で退職することになったが、そのような悲劇的なミスマッチを招いてしまったのも、今思えば私が転職活動に望む態度に以下のような問題があったことが原因だったと思う。 技術的な関心のみが先行し過ぎカルチャーマッチを軽視した 経験の少ない分野だったため2年間修行して辞めるつもりで自分を安売りした カルチャーマッチや環境の軽視 前提として私が前職を志望した理由は、あるプログラミング言語(以降Aと書く)での開発を今後キャリアの軸にしていきたいと考えたからだ。 プログラミング言語Aは他の言語に登場する多くの概念を扱え、仮にA自体を使わなくなったとしてもAを通して触れた理論、概念を他の言語を書く際に活かすことができるだろうと思った。 残念ながら、多くの概念を扱えるということはそれだけ覚えることが多いということであり、Aを書く人は多くはなく採用している企業も少ない。 今回具体的な名前を出していないのも、仮に名前を出せば特定につながってしまう可能性があるくらい、Aの界隈が狭いからだ。 それでも私はAは真剣に向き合えばプログラマを成長させてくれる言語だと信じているし、当時はAで仕事がしたくてたまらなかった。 しかしそれが行き過ぎてしまい、入社時の面接で以下のようなことを見定めることを怠ってしまった。 役員の考えや社風と自分は合いそうか? その役員や会社の下で働きたいと思えるか? どのようなスタンスで開発を行っているか? ビジネスサイドと開発チームのパワーバランスは? どのくらいのレベルの人がいるか? どのくらい開発生産性に投資しているか? 1つ目の点については、入社前に調査をしていた段階で、なんとなく代表の考えや社風と自分が相容れない雰囲気を感じていた。 それでもプログラミング言語Aでの開発経験をとにかく積みたいという思いだけが先走り、2年ほど経験を積んだら転職してより良い環境へ行く前提でミスマッチを受け入れてしまった。 しかしこれは大失敗で、いくつかの出来事を経て会社や役員への嫌悪感はとても強いものになり、退職するまでの数ヶ月はもうこれ以上何一つこの会社の利益になることに私の力を貸したくないとさえ考えていた。 それでも、私の直接の上長にあたる方が極めて人間として尊敬できる方で、この人には報いたいという想いで仕事をしていた。 自分を安売りした結果何も得られなかった 先述したように私はプログラミング言語Aでの開発経験を積みたくて前の会社に入社したのだが、当時私はAの開発経験が乏しく、それまでのスキルセットもあまりAと重なっていなかったため、採用の難易度があまり高くない会社で2〜3年程度経験を積み転職しようと考えていた。 前職の待遇や福利厚生はお世辞にも良いとは言えなかったが、それでも経験を積むためならと妥協した。 ところが入社してみると以下のようにとてもいい経験が積めるような環境ではなかった。 Aについて時間をとって学習した人がほとんどおらず、入社前に2ヶ月程度学習しただけの私がチームで1、2番目くらいにAについて詳しくなってしまう コードベースはアンチパターンの宝庫で、プログラミング言語A以前の問題が山積している 環境を改善しようにも、以下のように人、時間、道具、何もかもが足りない状況 プログラミング言語Aを使っている企業の中でダントツで待遇が悪いので知見のある人が来ない ビジネスサイドから絶え間なく重い新規開発を求められ続ける 今いる人を育てるために勉強会を開こうにもとても「業務時間内でエンジニアのスキル向上のための時間を継続的に確保してください」と言えない状況 開発生産性を向上させるために他の企業が当たり前に導入しているツールを導入するための稟議が通らない 言い方はとても悪くなってしまうが、待遇が終わっているので一緒に仕事をしていて特にいい経験になるような優秀な人が来るわけがなく、「経験を積むために一旦はよくない待遇を受け入れる」というのは破綻していることに後で気づいた。 ただ、そのような環境でも技術的なことを解決するのが自分の仕事なので、ここですぐ良い環境を求めて逃げ出すのはいい歳してダサいし、第一、技術的負債というのは多かれ少なかれどこにでもあるものなのでこんなことで退職していては外でもやっていけないと思い、1人で改善に取り組むことから始めていた。 入社してから退職まで 身体を壊す 働く上でもう1つ大きなストレスの原因があった。 当時のオフィスでは狭い1室にエンジニアとCustomer Supportや営業が押し込められており、CSや営業の声が四六時中聞こえてきた。 特に声の大きい3人が私の席の近くで(比喩ではなく)ずっと喋っているのが強いストレスになった。 当時はノイズキャンセリングイヤホンを付けて最大音量で音楽を流していたが、それでも貫通してきた。 そもそも私は単純でない作業に集中したい時は音楽は何も流さないので、爆音で音楽を流しっぱなしにしてやっといくらかマシになるというのはその時点でかなりのストレスだった。 転職に失敗したことと騒音という2つの大きなストレス源はやがて精神を越えて身体を蝕んだ。 入社して半年くらいした頃、持病の潰瘍性大腸炎が活動期に入ってしまった。 もし食事中にこれを読んでいる方がいたら次の段落まで飛ばしてほしいが、簡単に症状について説明すると、かなりの頻度でお腹が痛くなってしまう病気だ。 最もひどい時は寝ている間に2時間おきくらいに腹痛で目を覚ましていたし、外を歩いている時は常にお手洗いを使えそうな施設から離れすぎないルートを考えなければならないし、何をしていても差し込みで腹痛に襲われるため、シンプルにQOLが著しく低下した。 この時期は外に出るのがつらすぎて週末はずっと家で横になっていた。 この際の病気へのアプローチも間違ってしまい、本来はクリニックにさっさと紹介状を書いてもらって大学病院などに行ってクリニックでは処方できないような薬を出してもらうのが正解だったのだが、半年くらいクリニックに通い続けてしまった。 後に大学病院で処方してもらった薬を服用し始めたら、治るとは言わないまでも1ヶ月もしない内に上記のような状態は脱することができたため、これは本当に失敗だった。 住宅補助をあてにして引っ越す 当時は1時間ほどかけて通勤していたが、腹痛のため次第にそれもしんどくなってきた。 限界を感じたので2024年2月頃、20分ほどで通勤できる場所に引っ越した。 オフィスがかなり都心にあるため家賃も相応に高いが、オフィス近くに引っ越すと月2万円の住宅補助が出る制度があったため、やっていけない程ではなかった。 その際に大学病院に転院し、先述のように流通が管理されているような高額な薬も処方してもらった結果、やっと症状が収まった。 潰瘍性大腸炎は指定難病として扱われており、月に2万1を超える医療費については負担して良くなる制度があるが、これの手続きにもかなり時間がかかり、待っていられないためしばらく自分で薬代を払っていた。 結局、25万円分ほどを半年以上にわたって立て替えた。 生活防衛費や貯蓄が無かったらと思うと恐ろしくて仕方がない。 難病になってしまったら可能な限り早めに手続きを進める必要があるという役に立てたくない知見を得た。 住宅補助がなくなる 身体はなんとかなりつつあったが、依然として仕事でのストレスは高く、精神面がついていかなかった。 そのため2024年7月頃に一度転職を試みたが、2社受けて片方は書類選考が通らず、もう片方は技術選考で落ちてしまい、自身の未熟さを痛感した。 もう少し自分を鍛え直す必要があると感じ、一度転職を断念した。 しかし業務を続けていると、私が所属している部署のオフィスが数駅隣に移転することが決定した。 住宅補助が適用されるための要件に本社から直線距離で○○km以内に住むというものがあったが、それが新オフィスから○○km以内に変更され、私は住宅補助が適用されなくなった。 生活が立ち行かなくなるほどではないが、実質的に月の手取りが1万強減ることになった。2 もとはと言えば就労環境の問題で引っ越さざるを得なかったことへの憤りや、新オフィスへの直線距離が増えたとはいえ電車での移動が1駅増えただけなので通勤時間はさほど変わらずかなり理不尽に感じたことから、なぜこのような環境、待遇で技術的負債の解消という苦しいことを頑張らなければならないのかわからなくなってしまい、その勢いで転職エージェントに登録した。 もはや、この会社の益になることに自分の力を貸したくないほどに憎悪が膨れ上がっていた。 難航した転職活動 最終的な結果としては、5社受けて、書類選考で落ちたのが1社、スキルの観点から私が役割を持てる場があるかを測る面接で落ちたのが3社、最終的に内定を頂いたのが1社と、かなり苦戦した。 ...

May 5, 2025 · くー

引っ越しで買ったもの

家庭の事情でここ数年は実家にいたが、体調の問題で通勤が厳しくなってきたため、少しでもストレスを減らすために会社の近くに引っ越した。 前回実家を出てからしばらく経っているため、家電などはすべて買い直しになった。 ただでさえ家事は得意ではないし、健康だったときに比べ何をするにも時間がかかってしまっているので、時短家電にはケチらず金を注ぎ込んだ。 Dyson Supersonic 何だそれはという人はダイソンのドライヤーと言えば伝わるだろう。 今まで雰囲気が引き締まってしまうようなシルバーや黒系の色しか無くもう少しふんわりした色がほしいと思っていたのだが、引っ越しとほぼ同時にさくらロゼゴールドという新色が出ていて一目惚れしたので購入。 実際使ってみると2〜3倍早く乾くというのは誇張ではなく、体感で最近まで使っていた安いドライヤーの2.3倍くらい早く乾いている気がする。 髪を乾かす以外の用途は無いため劇的に便利!というわけではないが、髪の毛を乾かす機会はほぼ確実に1日1回以上は発生するため満足度はそこそこ高い。 必須ではないが金に余裕があれば買ってもいいのではないか、というくらい。 アタッチメントは1つ付いてきたが、面倒なので全く使っておらず、個人的には必要ない。 ちなみに、スタンドもいいものが見つかり満足している。 https://www.amazon.co.jp/Sakulaya-%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%BC-dyson%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%BC-%E5%8F%8E%E7%B4%8D%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%89-%E3%82%A2%E3%82%BF%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E5%8F%8E%E7%B4%8D/dp/B0C8GBYV3Y ドラム式洗濯機 もともと洗濯物を干すこと自体好きではなく、しかしやらないと生活崩壊につながる可能性があるため、これだけは絶対買うと決めていた。 あまりこだわりは無かったが、防水バンが小さいのでそこでも置ける機種でなければならなかったのと、デザインが気に入ったためPanasonicのCuble NA-VG780Lを購入した。 実際つかってみてわかったのだが、今日の天気はどうか?いつ洗濯物を干すか?といったことを考える必要が無くなるのはとても満足度が高い。 唯一、1回使うごとにほこりのフィルターを掃除しなければならないのは難点だが、2分もあれば終わるので洗濯物干しに比べれば取るに足らないような問題だ。 乾燥機能も私の1日分の洗濯物くらいならカラカラに乾かしてくれる。 限界男性のマストアイテムとして文句無しのTier1。 ロボット掃除機 床も数日放置しただけであっという間に汚れていくが掃除の時間をとても捻出できないため、これも必ず導入すると決めていた。 完璧でなくても9割程度の清潔さを保ってくれれば問題ない私としてはドラム式洗濯機と同レベルで満足度が高かった。 逆に100%を求める人にはあまり勧められない。 モデルの選定としては放っておいても万事うまいことやってくれることを重視し、モップがけ, モップ洗浄まで勝手にやってくれるフルスタックなモデルを選ぶと決めていた。 DEEBOT X2 OMNIを購入し私は特に不満を持っていないが、レビューを見る限りではもっとよい選択肢があるようだったので、人には勧めていない。 多分、次買い替えるとしたら他社のものを選ぶだろう。 こちらもTier1といってよいが、ロボット掃除機はセールを頻繁にやっているようで買うタイミングで値段が数万違うことに驚いた。 私はベストのタイミングで買うことができず4万くらい損したので注意が必要。 ヘルシオ ウォーターオーブン 引っ越し当初はしばらく外食で済まそうと思っていたが1ヶ月もすると食べたい店も尽きてしまい、何より外食でまともな野菜料理を食べると中々の値段になることが多く、野菜をほとんど摂らなかった結果目に見えて肌が荒れた。 しかし平日の仕事終わりに時間をかけて料理するほどの気力があるとも思えず、ロボット掃除機やドラム式洗濯機で味をしめた私は料理もいくらか自動でうまいことやってくれないかと考えた。 その結果行き着いたのがこれだった。 モデル選びだが、炊飯もこれで済ませようと思っていたため、炊飯とおかず作りが同時にできる2段調理が可能なモデルから選んだ。 その中でも、角皿や網や本体のメンテナンスに関する機能が決め手となり、最上位のAX-LSX3Aを選んだ。 買った感想だが、私は鶏肉のグリルや蒸し鶏ハム+野菜を作ることが多いがこの辺ちょうどいい塩梅にやってくれており、加熱の間は別のことをしていられるので助かっている。 肉じゃがも作ってみたがこちらもよくできており、特に追加で入れてみた鶏肉が柔らかくなっていたのにはびっくりした。 朝はトーストとソーセージやベーコンを網に置いておけば一緒に焼いてくれる。 炊飯についても全く問題ない。 ただ、いくつか注意点もある。 まず、使うごとに庫内に水滴が発生するので、使い終わったらタオルでそれを拭いてやる必要がある。 調理に使う水道水を入れるタンクがあるので、ここに入っている水も1回1回捨てた方が衛生的だろう。 許容範囲ではあるが1回1回メンテナンスが発生するので少し面倒ではある。 付属の角皿や網はとても大きくて洗うのが大変なのであまりメインで使わない方がいい。 私は少し小さい角皿と網を購入し、付属の角皿の上に乗せて使っている。 特に網は焼き付いたものを手で洗うと大変なので、食洗機を使うのであれば絶対にこうした方がいい。 買った当初想定していなかった問題としては、消費電力が高いためコンセントパズルに悩まされるというものがあった。 AX-LSX3Aの定格消費電力は1460Wになっているのだが、1つのコンセントに接続する家電の定格消費電力の合計は1500Wに収めなければならず、これを接続したコンセントは2つ穴が空いていようと他にはほぼ何も接続できない。 私の台所にあるもので他にコンセントを使うものは冷蔵庫, 食洗機, ONU, ガス給湯器, 換気扇だが、冷蔵庫と食洗機のペアもかなり電力を使うため、コンセントをどうするか少し悩まされた。 また、消費電力が多い家電は延長コードを使うのも危険が伴うようなので置ける場所はコンセントの周りに限られる。 ヘルシオのサイズもかなり大きく、本来ガスコンロを設置する場所にガスコンロを諦めて置くことにした。 今のところ困っていないのでひとまずこれでよしとしている。 炊飯をこれで済まそうとしたときに発生した問題もいくつかある。 まず、炊飯は下段で行うのだが、下段に置ける容器の高さはせいぜい7cmちょっとでなければならない。 幸いこれについては少し値がはるがちょうどいいものを見つけた。 また、おかずのメニューによっては同時炊飯できないこともあり、そういうときは炊飯器がほしくなる。 また、これはヘルシオのせいではないのだが私の体調が悪すぎて買い物に行けない日が多いのと、なかなか改善しない病状に気が滅入ってしまってなかなか新しいメニューを開拓できず、まだ十分に機能を活かしきれていない感じがある。 問題点を色々書いたが、調理に関しては放置で私の数倍うまくやってくれており、料理をしていてそこまで楽しさを感じない私としては買ってよかったと思えるものだった。 フライパン・鍋 ヘルシオを使っている人がこぞって推しているのでティファールの取手がとれるものを購入。 食洗機にも入れやすくこれにしてよかった。 ...

May 23, 2024 · くー

館山

去る3/15、館山でサイクリングをしてきた。 4月まで有給消化だが、天気予報を見ると3月後半は天気の悪い日ばかりで、その日を逃すと晴天と言える日はしばらく無さそうだったのでいいタイミングだった。 コースは駅前で自転車を借りて海沿いに沖ノ島、洲崎神社、野島崎を巡ってまた駅前に戻ってくるコースにした。 11時頃、自転車の貸出手続きを終え、沖ノ島に出発した。 何かあるというわけではないが、水の透明度が高く、夏に海水浴でもしたら気持ちがよいだろうなと思った。 小さな洞窟もあり、なかなかのフォトスポットだった。 島の外周をひとまわりしたところで気が済み次の目的地である洲崎神社に向かったが、途中トラブルがあった。 積もった砂の上に自転車で乗り上げてしまい、車輪が砂にとられたために私の身体は自転車から投げ出された。 顔と脚が地面に叩きつけられ、前歯が地面に削られる感覚がはっきりとあった。 結果として、顔の数ヶ所に傷を負い、両膝を打撲した。 前歯も1ヶ所欠けてしまったのでかかりつけの歯科医にすぐさま連絡したところ、翌日の予約が取れたのは不幸中の幸いだった。 もう10数年くらいここまでの怪我をしたことは無かったのではないかと思うほどの負傷だったが、後ろには車が普通に走行していたことを考えれば、轢かれなかった上に骨折なども無しというのはまだツイていたと言う他ないだろう。 特に腕を負傷しPCの操作ができないということになれば、仕事の変わり目ということもありどうなっていたかわからない。 数ヶ月無職になっても耐えられる程度の蓄えはあるが、苦しかっただろう。 膝の痛みで自転車をこぐのが辛くここで引き返そうとも考えたが、嫌な思い出だけが強く残ったまま帰るのも癪だったので旅程を続行することにした。 顔の傷の大部分はマスクをしていれば隠せる位置だったのも都合がよかった。 洲崎神社に到着すると、負傷した脚に堪える長い階段が待ち受けていた。 ひとまず、先のトラブルで生死や今後の生活に関わるほどの負傷が無かったことへの感謝を伝え、顔の傷がきれいに治るのと欠けた歯がくっつくことを祈った。 洲崎神社を出た頃、既に午後3時を回っていた。 17時までに自転車を返却しなければならず、最後の目的地である野島崎まで16kmほどあり、更に館山駅に戻るにも16kmほどあるため、残念だがここで引き返すのが賢明だろうと思えた。 しかし、今回諦めたら果たしてもう一度ここに来る気力が起こるか疑問だったので、そのまま野島崎に向かった。 打撲した箇所は相変わらず痛いし、サドルも硬くて尻が痛くなり、電動アシストもついていたがかなり苦しい道のりになってしまった。 16時手前になってようやく野島崎に到着し、房総半島最南端を20分程度でスピード観光した。 灯台に入れるようだったので入ってみたが、途中から階段が急な上に1人しか通れないほど足場が狭くなったので上るのに苦労した。 一通りの場所を見てからは館山駅に向けて自転車を飛ばしたが、16時半を回ったところで明らかに間に合わないだろうと判断し、店に10分程度遅れることを連絡し詫びた。 私のせいで少し残業する羽目になってしまったにも関わらず、怪我を心配して下さった上に絆創膏なども頂き、感謝しか無かった。 ただ、それはそれとして、今後は高かったり時間の都合が付きづらかったとしても旅先ではより安全な交通手段を使おうと決意した。 特に都市部以外の道の整備が不十分な地域では、今回のように道の上に障害物があったり、そもそも歩道が狭くて車道にはみ出ざるを得ないことも多かった。 この記事を書いている現時点で、怪我の後始末に10〜15kほどかかっている。 その程度で済んでよかったとは思うが、それでもそのようなことに金を使うのであればバスや、それができないならタクシーにでも乗っていればよかったのだ。 今後の教訓とする。

March 21, 2023 · くー