しばらく前に転職したので前職に努めていたときのことをいろいろ振り返ってみる。
企業への深堀りが足りなかった転職活動
前職には2023年の4月に入社した。 結局2年未満で退職することになったが、そのような悲劇的なミスマッチを招いてしまったのも、今思えば私が転職活動に望む態度に以下のような問題があったことが原因だったと思う。
- 技術的な関心のみが先行し過ぎカルチャーマッチを軽視した
- 経験の少ない分野だったため2年間修行して辞めるつもりで自分を安売りした
カルチャーマッチや環境の軽視
前提として私が前職を志望した理由は、あるプログラミング言語(以降Aと書く)での開発を今後キャリアの軸にしていきたいと考えたからだ。 プログラミング言語Aは他の言語に登場する多くの概念を扱え、仮にA自体を使わなくなったとしてもAを通して触れた理論、概念を他の言語を書く際に活かすことができるだろうと思った。
残念ながら、多くの概念を扱えるということはそれだけ覚えることが多いということであり、Aを書く人は多くはなく採用している企業も少ない。 今回具体的な名前を出していないのも、仮に名前を出せば特定につながってしまう可能性があるくらい、Aの界隈が狭いからだ。
それでも私はAは真剣に向き合えばプログラマを成長させてくれる言語だと信じているし、当時はAで仕事がしたくてたまらなかった。
しかしそれが行き過ぎてしまい、入社時の面接で以下のようなことを見定めることを怠ってしまった。
- 役員の考えや社風と自分は合いそうか?
- その役員や会社の下で働きたいと思えるか?
- どのようなスタンスで開発を行っているか?
- ビジネスサイドと開発チームのパワーバランスは?
- どのくらいのレベルの人がいるか?
- どのくらい開発生産性に投資しているか?
1つ目の点については、入社前に調査をしていた段階で、なんとなく代表の考えや社風と自分が相容れない雰囲気を感じていた。 それでもプログラミング言語Aでの開発経験をとにかく積みたいという思いだけが先走り、2年ほど経験を積んだら転職してより良い環境へ行く前提でミスマッチを受け入れてしまった。
しかしこれは大失敗で、いくつかの出来事を経て会社や役員への嫌悪感はとても強いものになり、退職するまでの数ヶ月はもうこれ以上何一つこの会社の利益になることに私の力を貸したくないとさえ考えていた。 それでも、私の直接の上長にあたる方が極めて人間として尊敬できる方で、この人には報いたいという想いで仕事をしていた。
自分を安売りした結果何も得られなかった
先述したように私はプログラミング言語Aでの開発経験を積みたくて前の会社に入社したのだが、当時私はAの開発経験が乏しく、それまでのスキルセットもあまりAと重なっていなかったため、採用の難易度があまり高くない会社で2〜3年程度経験を積み転職しようと考えていた。 前職の待遇や福利厚生はお世辞にも良いとは言えなかったが、それでも経験を積むためならと妥協した。
ところが入社してみると以下のようにとてもいい経験が積めるような環境ではなかった。
- Aについて時間をとって学習した人がほとんどおらず、入社前に2ヶ月程度学習しただけの私がチームで1、2番目くらいにAについて詳しくなってしまう
- コードベースはアンチパターンの宝庫で、プログラミング言語A以前の問題が山積している
- 環境を改善しようにも、以下のように人、時間、道具、何もかもが足りない状況
- プログラミング言語Aを使っている企業の中でダントツで待遇が悪いので知見のある人が来ない
- ビジネスサイドから絶え間なく重い新規開発を求められ続ける
- 今いる人を育てるために勉強会を開こうにもとても「業務時間内でエンジニアのスキル向上のための時間を継続的に確保してください」と言えない状況
- 開発生産性を向上させるために他の企業が当たり前に導入しているツールを導入するための稟議が通らない
言い方はとても悪くなってしまうが、待遇が終わっているので一緒に仕事をしていて特にいい経験になるような優秀な人が来るわけがなく、「経験を積むために一旦はよくない待遇を受け入れる」というのは破綻していることに後で気づいた。
ただ、そのような環境でも技術的なことを解決するのが自分の仕事なので、ここですぐ良い環境を求めて逃げ出すのはいい歳してダサいし、第一、技術的負債というのは多かれ少なかれどこにでもあるものなのでこんなことで退職していては外でもやっていけないと思い、1人で改善に取り組むことから始めていた。
入社してから退職まで
身体を壊す
働く上でもう1つ大きなストレスの原因があった。 当時のオフィスでは狭い1室にエンジニアとCustomer Supportや営業が押し込められており、CSや営業の声が四六時中聞こえてきた。 特に声の大きい3人が私の席の近くで(比喩ではなく)ずっと喋っているのが強いストレスになった。 当時はノイズキャンセリングイヤホンを付けて最大音量で音楽を流していたが、それでも貫通してきた。 そもそも私は単純でない作業に集中したい時は音楽は何も流さないので、爆音で音楽を流しっぱなしにしてやっといくらかマシになるというのはその時点でかなりのストレスだった。
転職に失敗したことと騒音という2つの大きなストレス源はやがて精神を越えて身体を蝕んだ。 入社して半年くらいした頃、持病の潰瘍性大腸炎が活動期に入ってしまった。 もし食事中にこれを読んでいる方がいたら次の段落まで飛ばしてほしいが、簡単に症状について説明すると、かなりの頻度でお腹が痛くなってしまう病気だ。 最もひどい時は寝ている間に2時間おきくらいに腹痛で目を覚ましていたし、外を歩いている時は常にお手洗いを使えそうな施設から離れすぎないルートを考えなければならないし、何をしていても差し込みで腹痛に襲われるため、シンプルにQOLが著しく低下した。 この時期は外に出るのがつらすぎて週末はずっと家で横になっていた。
この際の病気へのアプローチも間違ってしまい、本来はクリニックにさっさと紹介状を書いてもらって大学病院などに行ってクリニックでは処方できないような薬を出してもらうのが正解だったのだが、半年くらいクリニックに通い続けてしまった。 後に大学病院で処方してもらった薬を服用し始めたら、治るとは言わないまでも1ヶ月もしない内に上記のような状態は脱することができたため、これは本当に失敗だった。
住宅補助をあてにして引っ越す
当時は1時間ほどかけて通勤していたが、腹痛のため次第にそれもしんどくなってきた。 限界を感じたので2024年2月頃、20分ほどで通勤できる場所に引っ越した。 オフィスがかなり都心にあるため家賃も相応に高いが、オフィス近くに引っ越すと月2万円の住宅補助が出る制度があったため、やっていけない程ではなかった。
その際に大学病院に転院し、先述のように流通が管理されているような高額な薬も処方してもらった結果、やっと症状が収まった。 潰瘍性大腸炎は指定難病として扱われており、月に2万1を超える医療費については負担して良くなる制度があるが、これの手続きにもかなり時間がかかり、待っていられないためしばらく自分で薬代を払っていた。 結局、25万円分ほどを半年以上にわたって立て替えた。 生活防衛費や貯蓄が無かったらと思うと恐ろしくて仕方がない。 難病になってしまったら可能な限り早めに手続きを進める必要があるという役に立てたくない知見を得た。
住宅補助がなくなる
身体はなんとかなりつつあったが、依然として仕事でのストレスは高く、精神面がついていかなかった。 そのため2024年7月頃に一度転職を試みたが、2社受けて片方は書類選考が通らず、もう片方は技術選考で落ちてしまい、自身の未熟さを痛感した。 もう少し自分を鍛え直す必要があると感じ、一度転職を断念した。
しかし業務を続けていると、私が所属している部署のオフィスが数駅隣に移転することが決定した。 住宅補助が適用されるための要件に本社から直線距離で○○km以内に住むというものがあったが、それが新オフィスから○○km以内に変更され、私は住宅補助が適用されなくなった。
生活が立ち行かなくなるほどではないが、実質的に月の手取りが1万強減ることになった。2 もとはと言えば就労環境の問題で引っ越さざるを得なかったことへの憤りや、新オフィスへの直線距離が増えたとはいえ電車での移動が1駅増えただけなので通勤時間はさほど変わらずかなり理不尽に感じたことから、なぜこのような環境、待遇で技術的負債の解消という苦しいことを頑張らなければならないのかわからなくなってしまい、その勢いで転職エージェントに登録した。 もはや、この会社の益になることに自分の力を貸したくないほどに憎悪が膨れ上がっていた。
難航した転職活動
最終的な結果としては、5社受けて、書類選考で落ちたのが1社、スキルの観点から私が役割を持てる場があるかを測る面接で落ちたのが3社、最終的に内定を頂いたのが1社と、かなり苦戦した。
必死だった割に受けた会社が少ないと思うかもしれないが、以下のような理由があり、あまり多くの会社を受けられなかった。
- 新オフィスの周辺に1人向けコワーキングスペースが少なく、面接は週1のリモートワークの日にやるか有給を切らざるを得なかった
- 面接を終えた後に週をまたぐと先方が「悩んだら落とす」という思考になるのではないかとなんとなく思い、木曜、金曜の面接を避けたため使える日は更に減った。
- プログラミング言語Aか、それと同等以上にバグの少ないシステムを開発することに向いていると思われる別のプログラミング言語Bでの業務を希望していたが、そもそもAもBも採用している企業が少ない。
2つ目については、一般的に最終面接は「悩んだら落とす」傾向が強いが、それまではむしろ「悩んだら通過させる」傾向が強いというのを最終面接前に知り、今思えば気にし過ぎだったように思った。
苦戦した原因としては以下のような理由が挙げられる
- 面接への慣れが足りず、テンパって論理的な話の運び方ができなかった
- 普段のアウトプットの不足
- これまでコードベースに関する業務が主だったため、インフラの経験が乏しい
- 2年未満の短いスパンでの転職になった
2つ目3つ目に関しては今更じたばたしたところでどうしようもないので今ある手札で勝負したが、4つ目については私がすぐ辞めるかもしれないという不安をとにかく払拭する必要があるため、以下の方法で対策した。
- カルチャーや開発へのスタンスへのマッチを軽視してしまった過ちを反省していること、今回の転職活動ではその点を重視している旨を伝える
- 一方で私のやりたいことは当初からほぼ変わっておらず、むしろ気持ちはより強くなっており、あとはカルチャー等がマッチしていれば長く貢献していけそうだということを伝える
また、今回はその知識を問うような選考が無かったため影響しなかったが、アルゴリズムに関する知識を問われた場合もあまり自身があるとは言えないため、これもいつか線形代数の勉強し直しから始めて補強したいと感じた。
5社で始めた選考がどんどん不採用に終わる中、1社だけ通過し続けておりそこに全てを賭けるしかないという状況はとても精神衛生上よくなく、特に最終面接を終えた後は肝心の代表取締役社長との面接があまりうまく行かなかった(と私は思っていた)ため、翌日は内定通知が来るまで胃の中でマグマがぐつぐつと煮えたぎっているような不快感に襲われ、全く仕事が手につかなかった。
月並みだが、最終的にうまく行った要因としては自分のやりたいことや望むキャリアをはっきりっさせ、入社をゴールとするのではなく入社後どのようなことをしたいのかを考え伝えられたという点が大きいのではないかと思う。
転職して変わったことと今後
まず収入が大きく改善され、以前から目標としていた年収600を超えた。 ここまでの人生はとても順調と呼べるものではなかった。 十数年ほど前から人生を順調に進められなくなり、なんとか大学を出るも新卒で入る価値もない会社に入り、その後少しでも普通のレベルの人間に近づけるようもがき続けていたが、ようやく人並みの収入に到達したのではないだろうか。 この十年余り自分の過去の過ちを後悔し続け、そこから自信を失いまた過ちを繰り返すという悪いサイクルに陥っていたが、もう、自分を赦してやってもよいのではないかと思えるようになった。
一方で、特に新卒直後の「このままの人生でいいはずがない」というハングリーさを失ってしまい、リモート主体、フレックスという勤労形態に変わったこともあり、この数ヶ月はずいぶん自堕落で腑抜けた生活を送ってしまった。
ただ、これについてはこのGWに今後の数年間でやりたいことを思いつき、また熱意を持って生きていくことができそうだ。
私は大学で専攻する分野に対し最後まで関心を持てず卒業してしまったことや、大学を通して何も身につかなかったことを後悔していた。 最近になって、プログラミングに登場する概念を数学の理論から勉強したいと思うようになったが、独学では誤った方向に進んでしまうのではという不安があった。
先日、ふと母校の夜間の学部で数学を専攻していた昔の知り合いについて思い出し、母校に夜間の数学科があったことに気付いた。 いきなり大きく動くと失敗した時が怖いのでまずは科目履修生として潜り込んで働きつつ数学に向き合うことがどの程度現実的なのか見定めたいが、ゆくゆくは学生として入学し、学位を取得するまでやりたいと考えている。
まさかこの歳になってもう一度母校に通う可能性が出てくるとは思わなかったし、調べたところ母校が唯一夜間で理学部を設けている大学だったというのも数奇な運命を感じずにはいられなかった。 いささか普通の人生を外れる気はするが、ここまでの人生も全く普通ではなかったし3、独身なので進むも退くも自由に選択してよいというメリットを活かしていきたい。 かつては興味がかけらも湧かない講義を片道2時間弱かけてキャンパスに向かって受けていたが、今度は自らの知的欲求を満たすために講義を受けるというあるべき形で臨むことができ、通学時間に関しても当時とは違い自分で収入を得ているのでキャンパス近くに引っ越したっていい。 もう10年ほど早く今のような状況に至れればと思うこともしばしばあるが、それでも、主体的に大学へ行くというのは初めてのことなのでわくわくする。