私は人生で2つのアケゲーに長期的に取り組んだことがある。 片方は以前からこのブログでも話題にしている音ゲー、特にIIDXだ。1 IIDXに関しては、一時期は心中する勢いでやっていた。 周りには同じような練習量で私より効率よく成果を出す人もいたし、今回詳しくは語らないが、当時現実に差し迫っていた問題から逃避し時間を注ぎ続けたため、まさに「心中」だった。 その甲斐あって、そこにたどり着くまでに少なくない人が挫折すると思われるというところまでは行ったと思う。 とはいえ、後に逃避していた問題が爆発し精神的にまいってしまい音ゲーからも離れてしまったため、心中とはならなかった。 もう片方は、以前から私を知っている人であればご存知かもしれないが、今回はネガティブな話が多くなるので伏せておき、以後Aと呼ぶことにする。 こちらに関しては期間だけで言えば4年くらい続けていた気がするが、IIDXと違って成し遂げたことはこれと言って無く、泣かず飛ばずといった感じだった。 とはいえ、一時期はAでもランカーのプレイ配信を見るなど上達のためにもがいていた。 だが、その中でふと「この人たちはこのゲームがサービス終了したらどう生きていくのだろう?」、ひいては「私は今このゲームにコミットしていいのだろうか?」と考えてしまった。 熱心なランカーの追っかけをやっていたわけではないので実際のところは知らないが、ランカー層には25〜35歳程度と思われる人が多かったように思われ、ゲームの外の現実について悩みを零す者も実際に何人か見られた。 私もAをやっていたのは20代後半だったので(なれるかは別として)「これが理想の人生なのか」と悩んでしまった。 そもそも、私はAについてはどうにも上達が遅く、ランカーですらそのようなことを考えてしまうのだから、結果を出せないまま時間を溶かしたときの後悔など推して知るべしだ。 少なくとも日本では一般的に仕事で35歳程度までにある程度の技術、経験を積まないと、その後大きくハネることは難しい。 経験を積んでいればその後もキャリアアップや収入アップを目指していくことはできると思われるが、もしその頃になって新卒に毛が生えた程度の収入だったら…。 すべての幸せが金で得られるわけではないが、金で得られる幸せ、避けることができる不幸はたくさんあるし、金だけでは得られないチャンスをものにするにも結局金が必要なこともある。 25〜35歳をゲームと心中する勢いでのめり込んで過ごすというのは、その後の人生の選択肢を大きく狭めることは否めないだろう。 とはいえ、そのような人がいたとしても私はその行いを是とすることはできないまでも馬鹿だとも思わない。 何かに打ち込み成果を出した経験は、自分の中で少なからずかけがえのないものに醸成されていく。 先に書いたように私も人生の諸々の問題全てをかなぐり捨てて音ゲーに取り組んでいたため、その後一度全てを失ったと言っていいほど悲惨な状況に陥った。 ただ、確かにその時プログラミングの学習などより有益なことに時間を注いでいれば今より良い状況にいることができたかもしれないとたまに考えることがあるが、実際今過去に戻れたとしてそうしたいかと言われると、それも悩む。 私がその後ある程度人生を持ち直すことができたから、あるいは今の自分を完全に見捨ててしまうのが嫌だからそう考えているのはあるかもしれないが、心からそう思うのだ。 だから、私は人生の重要な時期に心中と言える勢いでゲームに打ち込むことは合理的ではないかもしれないが、愚かだとか惨めだとは考えない。 だが、私は結局ゲームと心中することはできなかった。 音ゲーと心中しかけて全てを失った私の手元に1つだけ残ったものがあった。 すみっコぐらしだ。 何の冗談かと思うかもしれないが、私はこの数年間「私が死んだらこれまで迎えたすみっコが恐らく全て処分されてしまう可能性が高いので死ぬわけにはいかない」という気持ちで希死念慮を跳ね除けてきたし、すみっコを迎え続け、いずれはちゃんと飾ってやれるほどの家に住むために収入を上げることを目指してきた。 もし人生が行き詰まってこれまで迎えたすみっコを手放すことを考えたりすると身が引き裂かれるほど悲しくなってしまうので、形は歪だが背負うものができてしまい自分一人の都合でちゃらんぽらんに生きることができなくなってしまったのだ。23 当然、先細りの人生になるような選択ではなく、なるべく可能性を残し続ける選択をしなければならなくなった。 これも一種の「心中」なのかもしれないが、今のところはうまく機能している。 先に書いたように、ゲームと心中することを私は否定はしない。 ただ、結果としては、音ゲーに続けてAと心中しなくてよかったと思う。 音ゲーと心中しかけた時に思ったことだが、見えている問題から目を背け続けていると自己肯定感が終わってくるし、だんだん正気ではいられなくなっていく。 Aの界隈ではそれまでいた界隈よりも人間同士のいざこざを多く目にしたが、少なからずそれが影響しているのではないかと思う。 それでも覚悟ができているのであれば心中するのもまたいいが、「このゲームを続けた先、人生はどうなってしまうのだろう?」と悩むのであれば、一度立ち止まって考えるべきというのが私の今の考えだ。 正確には音ゲーはpop’n musicから入門ししばらくは並行してやっていたのだが、IIDXよりだいぶ前にやめてしまった。 ↩︎ それでもやがて死はやってくるのでそのとき迎えたすみっコをどうするか考えておく必要があるのだが、それはまだ答えが出ていない。 ↩︎ それでも真っ当に家庭を持っている人に比べればだいぶ好き勝手やってる自覚はある。 ↩︎
音ゲーを再開したい
先日、ここ4〜5年ほど追いかけていた昔の同人CDを手に入れた。 なんだこれはと思う人が大半だと思うが、2000年代初頭にBMSで楽曲を出していた、recognize m.氏のミニアルバムだ。 かつてSP発狂難易度表に取り組んでいた人は、happy centuryとかA BEAUTIFUL SKYの人と言えば伝わるかもしれない。 これらの楽曲もこのミニアルバムに収録されている。 これらのCDはかなり貴重なもので、私は駿河屋で探していたが、2021年に左側のCDが69800円で、2023年に右側のCDが74800円で入荷し、どちらも次の日には消えていた。 それっきり入荷せず、次に入荷したときは更に値上がることがほぼ確実なので本当に手に入れる機会が来るのかと思っていたが、今月の中頃に2枚揃って166000円ほどで入荷した。 23時ごろ入荷通知に気付いたのだが、正直本当に買うか悩んだ。 しかし、今後の人生でこれらの2枚とも入手できるチャンスがどれだけ巡ってくるかわからない、下手したら来ないかもしれないので、日付が回る頃には購入していた。 先述のhappy centuryやA BEAUTIFUL SKYを聴いている内にSPBMSを頑張っていた頃を思い出し、また音ゲーに復帰したいと今までより強く思うようになった。 実は最近、音ゲーに復帰するのにいいタイミングになりつつあると感じ、IIDXを週一くらいの頻度でやっていた。 これまでも何度か復帰は試みたが、仕事内容だったり給与だったりに強い不満があり、音ゲーに本腰をいれる前にそれらを改善しなければという思いがあり、いまいち打ち込めなかった。 それらがある程度解消され、かつて手が届かなかった目標1をもう一度追いかけてみたいという気持ちが湧いてきた。 今は自宅がゲーセンから遠く、近くのゲーセンまでは30分以上歩くか往復280円の交通費を払う必要があるので週一が限界だが、今年中にもう少しゲーセンが近い場所へ引っ越しを考えている。2 私はLIGHTNING MODELがあまり合わずこれまで旧筐体でばかりプレイしていたが、いよいよ旧筐体が無くなってしまったため、ゲーセンに通いやすくなるまでに少しでもLM筐体に身体を慣らそうという魂胆だ。 かつてはSPで冥をハードするくらいまではクリアランプを埋めていたが、前職のストレスが激しかったこともありIIDX 30〜31は全くプレイしなかったため過去のプレイデータは全て消えてしまった。 音ゲーに本気で取り組んでいたのが全て過去のことになってしまったのだと少し寂しい気持ちでもあったが、もともとは私も「1回きりのクリアランプよりそれを当たり前にできるようになることに拘るべき」という考えであり、そのスタイルがSP全白を目指していたときはやや崩れてしまっていたように思えわれるため、原点に立ち返れというお告げかもしれない。 しかし悪いことばかりではなく、最近LMに少し慣れてきた。 今はDP皆伝をまず目指したいと思いDPをやっているが、昨日ようやく☆12をまたイージーできるようになった。 以前は非公式難易度表で言うところの☆12.5のイージーに挑戦するところまで行ったが、長い間放置して地力が落ちたこともありLMをやり始めた当初は☆12に全く手が出なかったので、LMでもやっていけそうだとわかり、モチベーションが上がった。 昨日までLMでうまくやれていなかった原因としては、単純にボタンがとても硬い筐体を競技仕様だと勘違いしこの硬さに慣れるしか無いと思い込んでいたというのもあるが、思ったより緑数字を増やす必要があることに気付けていなかったというのが大きい。 LMになって画面が大きくなったのでもしかしてレーンもそれに応じて縦に伸びており、単位時間あたりにノーツが落下する距離もそれに応じて伸びている、つまりノーツの落下スピードが上がっているため、緑数字を上げる必要があるのではないかと、昨日ふと思ったのだ。 実際にノーツの落下速度が旧筐体より上がっているのかはわからないが、引退中に動体視力が落ちてしまったこともあってか、これがうまくハマった。 今は☆12.0や12.1を中心にリハビリを進めている。 DPBMSは修行みが強く、モチベがそこまで強くない段階では避けていたのだが、こうなってくると俄然やりたくなってきた。 かつてはLR2でやっていたのだが、最近ゲーミングPCを買ったのでoraja環境に移行し再開してみようかと考えている。 まだまだ給与を上げていきたい気持ちはあるものの、収入がある程度まで到達し心に余裕が出てきたら音ゲーに復帰したいという気持ちはずっとあったので、今はいいタイミングなのではないかと思う。 今後どれだけやれるかわからないが、せいぜい両皆伝までは人生の中で達成できるよう頑張りたい。 両皆伝とか、SP全白とか。 ↩︎ これはIIDXのためではなく、リモートワーク主体になり都心に高い家賃を払って住む必要がなくなったという理由が大きく、次に住みたいと考えている街にある程度質のいいゲーセンがあったのだ。 ↩︎
大阪旅行
2年ほど前から深堀隆介展-水面のゆらぎの中へというイベントが全国で行われていた。すみっコぐらしもコラボしており、金魚をモチーフにした限定グッズのかわいさに惹かれていたのはもちろん展示内容も興味があったのだが、最初に札幌でやったあとはどうにもアクセスのよくない場所でしか開催されず、なかなか行く気になれなかった。 しかしこの度大阪のあべのハルカスで開催されることが決まり、今後東京でやってくれるのかどうかもいまいちはっきりしなかったため行ってくることにした。 何気に大阪を訪れるのは人生初だったので観光もしたいと考えており、最終的に以下のイベントや場所を回った。 初日 深堀隆介展-水面のゆらぎの中へ@あべのハルカス ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢@大阪市立美術館 天王寺公園 新世界〜通天閣 海遊館 2日目 大阪城公園 黒門市場 道頓堀 ニフレル 自分の中で「大阪と言えば」というイメージのある場所をある程度回ることができて満足した。 出発 ぷらっとこだまで行こうと思っていたのだが最速でも10:55くらいの到着になってしまい、万一グッズが売り切れてしまうと悲しみを背負うため10:00にはあべのハルカスに到着しておきたく、飛行機を使うしかなかった。 大阪空港からあべのハルカスまでは定期的にリムジンバスが出ており、9:20発のバスに乗ればぎりぎり10時前に到着できる。 となると、羽田を7:30に発つ便に乗らなければならず、その1時間前までには羽田空港に到着するには4:30に家を出る必要があった。 残念ながら以前の下関〜博多旅行に引き続き今回も3時間弱しか寝れないまま出発する羽目になり、前回ほどではないが帰ってから体調を崩してしまった。 以前より勤務時間の融通がきく仕事に就いたため、次からは旅行の前日は15時頃には退勤してしまおうと思う。 深堀隆介展-水面のゆらぎの中へ 早めに着いたお陰か待ちは50人弱ほどしかおらず、スムーズに入れた。 撮影可能な作品が少ないためあまり写真がないのだが、私が気に入った作品はやはり、画像のような透明樹脂の中に多くの金魚がアクリル絵の具で描かれている作品だ。 これは樹脂を薄く固めてその上に金魚を描き、更にその上に樹脂を薄く固めてその上に金魚を描き、という工程を繰り返すことで立体的な金魚ができあがるという深堀氏を代表する手法で作られた作品なのだが、金魚を描いた部分の下にはきちんと絵の具による影ができるというのは本当によく考えられているなと感じた。 金魚が渦を描いて泳いでいることによる水面の表現もきれいで、外が35℃と暑かったこの日でも涼しさを感じたのは、きっとクーラーだけのせいではないだろう。 横から見ても味わい深い。 限定グッズの方はというと、全く心配なくすみっコを全員迎えられた。 普段はとかげをメインで集めているが、今回のコラボのてのりはすみっコごとに微妙に異なる種類の金魚がモチーフになっているなど造形が凝っており、すべて集めて並べるたくなってしまったため、全員迎えることにした。 とかげに関してはふっくらしたのと少し潰れた感じのがいて、どちらもかわいかったので2つ迎えてしまった。 ちなみに、この展示とは全く関係無いのだが、あべのハルカスにはTHE MASTER by Butter Batlerという私がよくお土産に使っているお菓子のブランドの店がある。 このブランドの店は日本ではまだあべのハルカスと横浜高島屋にしかなく、しかもそれぞれの店舗に限定商品がある。 あべのハルカスの限定商品はこのラムレーズンバターミルフィーユだが、なんと深堀隆介展を出てまだ11時だったにも関わらず在庫が4つしか無く、売り切れ寸前だった。 こちらも以前から一度味わってみたかったため、運が良かった。 ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢 このイベントがすみっコぐらしとコラボするのは6月の終わりに急に発表された。 すみっコの絵画美術展系のイベントとのコラボはやたらグッズの在庫が潤沢なことが多く焦る必要もない上、美術鑑賞は結構立ちっぱなしで解説を読み続けるのが自分の中でハードで連続で行って疲れないか心配だったし、9月から東京でも開催されるようなのでそもそも大阪でわざわざ行くか悩んだのだが、せっかくあべのハルカスからほど近い大阪市立美術館で開催されていたので、天王寺公園を歩くついでに、拾えるうちにすみっコを迎えるチャンスを拾いに行くことにした。 この美術展はゴッホの生涯を支え、そして死後にゴッホの作品が然るべき評価を受けられるよう奮闘したゴッホの弟テオ(Theodorus van Gogh)とその家族をテーマにしているのだが、なかなか面白かった。 最初に書いたとおりこの日はあまり眠れなかったのだが、美術館を出るころにはぱっちり目が覚めていたくらいだ。 美術の知識はさっぱりなのでこの手のイベントではいつも音声ガイドに課金しているが、今回は特に内容がよかったので、これから行く人にはぜひおすすめしたい。 特に印象に残ったのが、ゴッホの死後にテオとその家族の奮闘によりゴッホの作品が評価されていったが、ロンドンのナショナル・ギャラリーにかの「ひまわり」の内の1枚が購入されると、ゴッホの評価はついに不動のものとなったという話だ。 ナショナル・ギャラリーといえば、2020年に上ので開催されたロンドン・ナショナル・ギャラリー展もすみっコとコラボしており、そこではひまわりも展示されていたのだが、「ここでつながってくるのか!」、「あのとき見た絵にそんな意味があったのか!」と何か熱いものを感じずにはいられなかった。 また、ゴッホが晩年に精神的な苦悩と向き合いながらも農村の風景を書き続けていた話を聞いていて、絵というのも楽しくやれば独りで長く続けられる趣味かもしれないなとふと思った。 絵心はまるで無いが、風景を見るのは好きだし、その時に本格的なものでなくても風景の素描なんかが描けたら少し楽しそうだ。 人生を独りで生きていく可能性もそれなりにあるので、そういう趣味を増やせるチャンスは気にかけておきたい。 今すぐは難しいが、40歳が近づいて仕事でもベテランと言えるような立場を確立できたら、そういうことにも目を向けたい。 グッズは、私は「ひまわり」が好きなのだがとかげが画家のデザインだったため、次点ですきなしろくまも追加で迎えた。 ロンドン・ナショナル・ギャラリーのときも思ったが、しろくまは寒がりなので、太陽や夏を思わせるひまわりはよく似合っている気がする。 また、とかげが着ている青い服も今回のイベントのポスターなどにも載っているゴッホの自画像がモチーフなのだと後々気付き、気に入った。 せっかくとかげがゴッホ自身のモチーフなので、ゴッホの作品や画材をモチーフにしたてのりぬいぐるみセットも迎えることにした。 かなり行くか悩んだイベントだったが、おもしろい展示内容に素敵なデザインのすみっコと文句の無いイベントだった。 新世界〜通天閣 大阪市立美術館を出たあとは、そのまま天王寺公園を歩いて新世界や通天閣の方まで歩いた。 特に何らかの店に入ったわけではないのだが、この景色を見るとなんとなく大阪に来たという気になる。 ただ、思ったほどの高さでもなかったので登るのはやめにして先を急ぐことにした。 余談だが、この日の大阪の最高気温は35℃前後だった。今年の3月頃、ずっとなんとなく欲しかったモンベルのサンブロックアンブレラを買った。 よく日傘はいいぞと言われているが、ここまで気温が高いとあっても依然として全身から汗が吹き出してくるほどの暑さではある。 しかしこれがなかったら死んでいただろうから買っておいたよかった。 ...
EDH 人造魔導士、ケフカ(ブラケット3)
はじめに まだ一人回ししかしていないので、実際はうまく回らないかもしれないし、相手3人からヘイトを買ってボコボコにされる可能性もある。 デッキリスト 晴れる屋のデッキ構築機能の方が見やすそうではあるが、思ったよりFFのカードを採用することになり、まだ晴れる屋のデッキ構築機能が対応していないらしいのでMoxfieldで失礼する。 https://moxfield.com/decks/jkw8U78Wu0C-AaJYRcskyg 大まかな構築方針 このデッキでやりたいのは以下のようなことだ。 マナ加速を利用し、とにかく早くケフカを出す 追加戦闘、ブリンクでケフカの能力を使い回す ケフカの能力で墓地に落としたクリーチャーをリアニメイトする ケフカ以外のハンデス要員を採用するデッキも多く見られるが、私はでかいクリーチャーがすきなため、それらを有効活用できる追加戦闘やブリンクをケフカの誘発を増やすのにも使うことでハンデス要員の代わりとした。 ケフカはとにかくゲームの早い段階で出したい。 ケフカを出すのにもたつくと、相手が手札を消費しきってしまいケフカの能力でアドバンテージを稼ぎにくくなる、相手が盤面を整えてしまいそもそもケフカが殴れないなど、嬉しくないことばかりだ。 そのため、マナ加速を17枚も(《ウルザの物語》が《太陽の指輪》や《睡蓮の花びら》を持ってこれることも考慮すれば18枚)採用している。 マナ加速を採用し過ぎると後半手札に来て困るが、このデッキではケフカの能力でルーティングできるため悪影響をいくらか抑えられる。 通常のマナファクトだけでは足りず採用したマナマイアや《極楽の羽ばたき飛行機械》に至っては、ケフカで捨てればそれだけで2ドローできる。 キープ基準は、ケフカを4ターン以内に出せそうかを基準としている。 土地は、初手に土地が4枚無いこともそれなりにあるため諜報ランドを2枚採用しているが、それ以外は4ターンケフカを阻害しないようタップインしかできない土地は避けている。 ケフカがハンドアドバンテージを稼いでくれることを見込み、リアニメイトを意識して採用している6マナ以上のクリーチャーは戦場に触れたり戦力を新たに追加してくれるカードを中心に採用している。 また、ブリンクでアドバンテージを稼げるようEtBで能力を誘発させたり、追加戦闘でアドバンテージを稼げるよう攻撃で能力を誘発させるものを主に採用している。 無限コンボは以下の2つを採用しているが、戦場をコントロールできたら普通に殴っていってもいい。 《破壊の化身、ケフカ》 + 《精神の病を這うもの》 《多勢の兜》 + 《戦闘の祝賀者》 2つ目のコンボは理論上6ターン以内に決まる可能性もあるが、実際に6ターン以内に狙える状況になることはほとんど無いと思われ、どちらかと言えばそれぞれのパーツ単体の性能を評価して入れたものなので許容している。 カード個別解説 あまり解説すべきカードは無いが、数枚ではあるが個別に注意が必要なカードについて書いていく。 人造魔導士、ケフカ // 破壊の化身、ケフカ むやみに変身させるとセルフLOしてしまう可能性もあるので《精神の病を這うもの》とのコンボを仕掛けにいく時以外はあまり変身させなくてよいが、ブリンクできる生物が他にいて手札もあまり良くない時に1ターンだけ大量ドローと変身時の効果目当てで変身するというような動きはありだろう。 精神病棟の訪問者 地味にウィザードであるため《調和の神童》やウィザードを選択した《うろつく玉座》で誘発が倍加する。 が、ライフもその分減っていくので注意が必要。 バシム・イブン・イスハーク マナファクトや伝説の生物が多いため、2マナのカード以上の働きをしてくれる。 このデッキのある程度考えられる理想的な動きは、2ターン目にマナファクトを置き、3ターン目に何かしらケフカを補助するカードをプレイし、4ターン目に満を持してケフカを送り込むというものだが、このカードを引けた場合はマナファクトより先にプレイすることも考えると良い。 +1/+1カウンターが乗るのはプレイヤーに戦闘ダメージを与えた時であるため、追加コンバットと地味なシナジーがある。 うろつく玉座 基本的には重い《調和の神童》と考えているが、相手の手札が切れてきてケフカの誘発を倍加させる意義が薄れてきたら人間やウィザード以外を選んでもよい。 種族はばらついているものの、猫や神やエルダーなど2枚程度被っている種族はそれなりにある。 特に、デーモンを選択すれば《深海の破滅、ジャイルーダ》や《シャドーグランジの魔神》の強力なEtBを倍加できる上、《簒奪者、アーデン》が回り始めた時に暴力的なアドバンテージを稼ぐこともあるだろう。 一方でケフカの誘発を倍加するために使う場合は、ウィザードより《バシム・イブン・イスハーク》や《簒奪者、アーデン》など倍加して嬉しい誘発持ちが若干多い人間を選んだ方が良いように思われる。 召喚:ヴァルファーレ ケフカが殴る際のリスクになるクリーチャーをどかす性能がなかなか高そうで、相手の手札が枯れている時はケフカのハンデスと合わせて実質除去として使え、ブリンクによる使いまわしもなかなか強烈なアドを稼げそうなため採用している。 《マラング川の執政》にも言えることだが、手札が枯れている相手のパーマネントをバウンスした際はそれとは違うタイプのカードをケフカで捨てることで、ケフカでドローできるカードを増やせる。 このカードをプレイした後であればなるべくクリーチャー以外を捨てたいところだが、リアニメイトの仕込みが必要な場合はそちらと相談しよう。 マラング川の執政 // 巻きつき捕らえ 首尾よく3ターン目に4マナ出せるようになった場合の暇つぶしとして《巻きつき捕らえ》としてプレイしてアドを稼いでもよいし、《マラング川の執政》としてプレイしてケフカが殴る道を開けてもよい。 《動く死体》, 《Dance of the Dead》, 《ネクロマンシー》で《マラング川の執政》を釣ると、釣るために使ったエンチャントをバウンスすることで使い回せるバウンスとして機能するテクニックを覚えておきたい。 ウルザの物語 1ターン目に設置し、2ターン目にマナファクトを置き、3ターン目に太陽の指輪をサーチしてきてアンタップインの土地をプレイできれば3ターン目にケフカを送り込める。 中盤以降はケフカの効果で捨てて2枚ドローするのが主な使い方になる。 今回入れなかったが考慮すべきカード Game Changer 私はブラケット3のデッキを組む時でもあからさまにもっと良いカードがあるようなものは採用せず、それなりのパワーのカードで固めているため、あえてGame Changerの採用をなるべく避ける縛りを個人的に課している。 しかし、そもそものブラケットに関する説明の記事ではブラケット3の説明に以下のようにある。 採用カードは最適なものになるようしっかりと検討されて、組まれている。 ...
転職した
しばらく前に転職したので前職に努めていたときのことをいろいろ振り返ってみる。 企業への深堀りが足りなかった転職活動 前職には2023年の4月に入社した。 結局2年未満で退職することになったが、そのような悲劇的なミスマッチを招いてしまったのも、今思えば私が転職活動に望む態度に以下のような問題があったことが原因だったと思う。 技術的な関心のみが先行し過ぎカルチャーマッチを軽視した 経験の少ない分野だったため2年間修行して辞めるつもりで自分を安売りした カルチャーマッチや環境の軽視 前提として私が前職を志望した理由は、あるプログラミング言語(以降Aと書く)での開発を今後キャリアの軸にしていきたいと考えたからだ。 プログラミング言語Aは他の言語に登場する多くの概念を扱え、仮にA自体を使わなくなったとしてもAを通して触れた理論、概念を他の言語を書く際に活かすことができるだろうと思った。 残念ながら、多くの概念を扱えるということはそれだけ覚えることが多いということであり、Aを書く人は多くはなく採用している企業も少ない。 今回具体的な名前を出していないのも、仮に名前を出せば特定につながってしまう可能性があるくらい、Aの界隈が狭いからだ。 それでも私はAは真剣に向き合えばプログラマを成長させてくれる言語だと信じているし、当時はAで仕事がしたくてたまらなかった。 しかしそれが行き過ぎてしまい、入社時の面接で以下のようなことを見定めることを怠ってしまった。 役員の考えや社風と自分は合いそうか? その役員や会社の下で働きたいと思えるか? どのようなスタンスで開発を行っているか? ビジネスサイドと開発チームのパワーバランスは? どのくらいのレベルの人がいるか? どのくらい開発生産性に投資しているか? 1つ目の点については、入社前に調査をしていた段階で、なんとなく代表の考えや社風と自分が相容れない雰囲気を感じていた。 それでもプログラミング言語Aでの開発経験をとにかく積みたいという思いだけが先走り、2年ほど経験を積んだら転職してより良い環境へ行く前提でミスマッチを受け入れてしまった。 しかしこれは大失敗で、いくつかの出来事を経て会社や役員への嫌悪感はとても強いものになり、退職するまでの数ヶ月はもうこれ以上何一つこの会社の利益になることに私の力を貸したくないとさえ考えていた。 それでも、私の直接の上長にあたる方が極めて人間として尊敬できる方で、この人には報いたいという想いで仕事をしていた。 自分を安売りした結果何も得られなかった 先述したように私はプログラミング言語Aでの開発経験を積みたくて前の会社に入社したのだが、当時私はAの開発経験が乏しく、それまでのスキルセットもあまりAと重なっていなかったため、採用の難易度があまり高くない会社で2〜3年程度経験を積み転職しようと考えていた。 前職の待遇や福利厚生はお世辞にも良いとは言えなかったが、それでも経験を積むためならと妥協した。 ところが入社してみると以下のようにとてもいい経験が積めるような環境ではなかった。 Aについて時間をとって学習した人がほとんどおらず、入社前に2ヶ月程度学習しただけの私がチームで1、2番目くらいにAについて詳しくなってしまう コードベースはアンチパターンの宝庫で、プログラミング言語A以前の問題が山積している 環境を改善しようにも、以下のように人、時間、道具、何もかもが足りない状況 プログラミング言語Aを使っている企業の中でダントツで待遇が悪いので知見のある人が来ない ビジネスサイドから絶え間なく重い新規開発を求められ続ける 今いる人を育てるために勉強会を開こうにもとても「業務時間内でエンジニアのスキル向上のための時間を継続的に確保してください」と言えない状況 開発生産性を向上させるために他の企業が当たり前に導入しているツールを導入するための稟議が通らない 言い方はとても悪くなってしまうが、待遇が終わっているので一緒に仕事をしていて特にいい経験になるような優秀な人が来るわけがなく、「経験を積むために一旦はよくない待遇を受け入れる」というのは破綻していることに後で気づいた。 ただ、そのような環境でも技術的なことを解決するのが自分の仕事なので、ここですぐ良い環境を求めて逃げ出すのはいい歳してダサいし、第一、技術的負債というのは多かれ少なかれどこにでもあるものなのでこんなことで退職していては外でもやっていけないと思い、1人で改善に取り組むことから始めていた。 入社してから退職まで 身体を壊す 働く上でもう1つ大きなストレスの原因があった。 当時のオフィスでは狭い1室にエンジニアとCustomer Supportや営業が押し込められており、CSや営業の声が四六時中聞こえてきた。 特に声の大きい3人が私の席の近くで(比喩ではなく)ずっと喋っているのが強いストレスになった。 当時はノイズキャンセリングイヤホンを付けて最大音量で音楽を流していたが、それでも貫通してきた。 そもそも私は単純でない作業に集中したい時は音楽は何も流さないので、爆音で音楽を流しっぱなしにしてやっといくらかマシになるというのはその時点でかなりのストレスだった。 転職に失敗したことと騒音という2つの大きなストレス源はやがて精神を越えて身体を蝕んだ。 入社して半年くらいした頃、持病の潰瘍性大腸炎が活動期に入ってしまった。 もし食事中にこれを読んでいる方がいたら次の段落まで飛ばしてほしいが、簡単に症状について説明すると、かなりの頻度でお腹が痛くなってしまう病気だ。 最もひどい時は寝ている間に2時間おきくらいに腹痛で目を覚ましていたし、外を歩いている時は常にお手洗いを使えそうな施設から離れすぎないルートを考えなければならないし、何をしていても差し込みで腹痛に襲われるため、シンプルにQOLが著しく低下した。 この時期は外に出るのがつらすぎて週末はずっと家で横になっていた。 この際の病気へのアプローチも間違ってしまい、本来はクリニックにさっさと紹介状を書いてもらって大学病院などに行ってクリニックでは処方できないような薬を出してもらうのが正解だったのだが、半年くらいクリニックに通い続けてしまった。 後に大学病院で処方してもらった薬を服用し始めたら、治るとは言わないまでも1ヶ月もしない内に上記のような状態は脱することができたため、これは本当に失敗だった。 住宅補助をあてにして引っ越す 当時は1時間ほどかけて通勤していたが、腹痛のため次第にそれもしんどくなってきた。 限界を感じたので2024年2月頃、20分ほどで通勤できる場所に引っ越した。 オフィスがかなり都心にあるため家賃も相応に高いが、オフィス近くに引っ越すと月2万円の住宅補助が出る制度があったため、やっていけない程ではなかった。 その際に大学病院に転院し、先述のように流通が管理されているような高額な薬も処方してもらった結果、やっと症状が収まった。 潰瘍性大腸炎は指定難病として扱われており、月に2万1を超える医療費については負担して良くなる制度があるが、これの手続きにもかなり時間がかかり、待っていられないためしばらく自分で薬代を払っていた。 結局、25万円分ほどを半年以上にわたって立て替えた。 生活防衛費や貯蓄が無かったらと思うと恐ろしくて仕方がない。 難病になってしまったら可能な限り早めに手続きを進める必要があるという役に立てたくない知見を得た。 住宅補助がなくなる 身体はなんとかなりつつあったが、依然として仕事でのストレスは高く、精神面がついていかなかった。 そのため2024年7月頃に一度転職を試みたが、2社受けて片方は書類選考が通らず、もう片方は技術選考で落ちてしまい、自身の未熟さを痛感した。 もう少し自分を鍛え直す必要があると感じ、一度転職を断念した。 しかし業務を続けていると、私が所属している部署のオフィスが数駅隣に移転することが決定した。 住宅補助が適用されるための要件に本社から直線距離で○○km以内に住むというものがあったが、それが新オフィスから○○km以内に変更され、私は住宅補助が適用されなくなった。 生活が立ち行かなくなるほどではないが、実質的に月の手取りが1万強減ることになった。2 もとはと言えば就労環境の問題で引っ越さざるを得なかったことへの憤りや、新オフィスへの直線距離が増えたとはいえ電車での移動が1駅増えただけなので通勤時間はさほど変わらずかなり理不尽に感じたことから、なぜこのような環境、待遇で技術的負債の解消という苦しいことを頑張らなければならないのかわからなくなってしまい、その勢いで転職エージェントに登録した。 もはや、この会社の益になることに自分の力を貸したくないほどに憎悪が膨れ上がっていた。 難航した転職活動 最終的な結果としては、5社受けて、書類選考で落ちたのが1社、スキルの観点から私が役割を持てる場があるかを測る面接で落ちたのが3社、最終的に内定を頂いたのが1社と、かなり苦戦した。 ...
引っ越しで買ったもの
家庭の事情でここ数年は実家にいたが、体調の問題で通勤が厳しくなってきたため、少しでもストレスを減らすために会社の近くに引っ越した。 前回実家を出てからしばらく経っているため、家電などはすべて買い直しになった。 ただでさえ家事は得意ではないし、健康だったときに比べ何をするにも時間がかかってしまっているので、時短家電にはケチらず金を注ぎ込んだ。 Dyson Supersonic 何だそれはという人はダイソンのドライヤーと言えば伝わるだろう。 今まで雰囲気が引き締まってしまうようなシルバーや黒系の色しか無くもう少しふんわりした色がほしいと思っていたのだが、引っ越しとほぼ同時にさくらロゼゴールドという新色が出ていて一目惚れしたので購入。 実際使ってみると2〜3倍早く乾くというのは誇張ではなく、体感で最近まで使っていた安いドライヤーの2.3倍くらい早く乾いている気がする。 髪を乾かす以外の用途は無いため劇的に便利!というわけではないが、髪の毛を乾かす機会はほぼ確実に1日1回以上は発生するため満足度はそこそこ高い。 必須ではないが金に余裕があれば買ってもいいのではないか、というくらい。 アタッチメントは1つ付いてきたが、面倒なので全く使っておらず、個人的には必要ない。 ちなみに、スタンドもいいものが見つかり満足している。 https://www.amazon.co.jp/Sakulaya-%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%BC-dyson%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%BC-%E5%8F%8E%E7%B4%8D%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%89-%E3%82%A2%E3%82%BF%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E5%8F%8E%E7%B4%8D/dp/B0C8GBYV3Y ドラム式洗濯機 もともと洗濯物を干すこと自体好きではなく、しかしやらないと生活崩壊につながる可能性があるため、これだけは絶対買うと決めていた。 あまりこだわりは無かったが、防水バンが小さいのでそこでも置ける機種でなければならなかったのと、デザインが気に入ったためPanasonicのCuble NA-VG780Lを購入した。 実際つかってみてわかったのだが、今日の天気はどうか?いつ洗濯物を干すか?といったことを考える必要が無くなるのはとても満足度が高い。 唯一、1回使うごとにほこりのフィルターを掃除しなければならないのは難点だが、2分もあれば終わるので洗濯物干しに比べれば取るに足らないような問題だ。 乾燥機能も私の1日分の洗濯物くらいならカラカラに乾かしてくれる。 限界男性のマストアイテムとして文句無しのTier1。 ロボット掃除機 床も数日放置しただけであっという間に汚れていくが掃除の時間をとても捻出できないため、これも必ず導入すると決めていた。 完璧でなくても9割程度の清潔さを保ってくれれば問題ない私としてはドラム式洗濯機と同レベルで満足度が高かった。 逆に100%を求める人にはあまり勧められない。 モデルの選定としては放っておいても万事うまいことやってくれることを重視し、モップがけ, モップ洗浄まで勝手にやってくれるフルスタックなモデルを選ぶと決めていた。 DEEBOT X2 OMNIを購入し私は特に不満を持っていないが、レビューを見る限りではもっとよい選択肢があるようだったので、人には勧めていない。 多分、次買い替えるとしたら他社のものを選ぶだろう。 こちらもTier1といってよいが、ロボット掃除機はセールを頻繁にやっているようで買うタイミングで値段が数万違うことに驚いた。 私はベストのタイミングで買うことができず4万くらい損したので注意が必要。 ヘルシオ ウォーターオーブン 引っ越し当初はしばらく外食で済まそうと思っていたが1ヶ月もすると食べたい店も尽きてしまい、何より外食でまともな野菜料理を食べると中々の値段になることが多く、野菜をほとんど摂らなかった結果目に見えて肌が荒れた。 しかし平日の仕事終わりに時間をかけて料理するほどの気力があるとも思えず、ロボット掃除機やドラム式洗濯機で味をしめた私は料理もいくらか自動でうまいことやってくれないかと考えた。 その結果行き着いたのがこれだった。 モデル選びだが、炊飯もこれで済ませようと思っていたため、炊飯とおかず作りが同時にできる2段調理が可能なモデルから選んだ。 その中でも、角皿や網や本体のメンテナンスに関する機能が決め手となり、最上位のAX-LSX3Aを選んだ。 買った感想だが、私は鶏肉のグリルや蒸し鶏ハム+野菜を作ることが多いがこの辺ちょうどいい塩梅にやってくれており、加熱の間は別のことをしていられるので助かっている。 肉じゃがも作ってみたがこちらもよくできており、特に追加で入れてみた鶏肉が柔らかくなっていたのにはびっくりした。 朝はトーストとソーセージやベーコンを網に置いておけば一緒に焼いてくれる。 炊飯についても全く問題ない。 ただ、いくつか注意点もある。 まず、使うごとに庫内に水滴が発生するので、使い終わったらタオルでそれを拭いてやる必要がある。 調理に使う水道水を入れるタンクがあるので、ここに入っている水も1回1回捨てた方が衛生的だろう。 許容範囲ではあるが1回1回メンテナンスが発生するので少し面倒ではある。 付属の角皿や網はとても大きくて洗うのが大変なのであまりメインで使わない方がいい。 私は少し小さい角皿と網を購入し、付属の角皿の上に乗せて使っている。 特に網は焼き付いたものを手で洗うと大変なので、食洗機を使うのであれば絶対にこうした方がいい。 買った当初想定していなかった問題としては、消費電力が高いためコンセントパズルに悩まされるというものがあった。 AX-LSX3Aの定格消費電力は1460Wになっているのだが、1つのコンセントに接続する家電の定格消費電力の合計は1500Wに収めなければならず、これを接続したコンセントは2つ穴が空いていようと他にはほぼ何も接続できない。 私の台所にあるもので他にコンセントを使うものは冷蔵庫, 食洗機, ONU, ガス給湯器, 換気扇だが、冷蔵庫と食洗機のペアもかなり電力を使うため、コンセントをどうするか少し悩まされた。 また、消費電力が多い家電は延長コードを使うのも危険が伴うようなので置ける場所はコンセントの周りに限られる。 ヘルシオのサイズもかなり大きく、本来ガスコンロを設置する場所にガスコンロを諦めて置くことにした。 今のところ困っていないのでひとまずこれでよしとしている。 炊飯をこれで済まそうとしたときに発生した問題もいくつかある。 まず、炊飯は下段で行うのだが、下段に置ける容器の高さはせいぜい7cmちょっとでなければならない。 幸いこれについては少し値がはるがちょうどいいものを見つけた。 また、おかずのメニューによっては同時炊飯できないこともあり、そういうときは炊飯器がほしくなる。 また、これはヘルシオのせいではないのだが私の体調が悪すぎて買い物に行けない日が多いのと、なかなか改善しない病状に気が滅入ってしまってなかなか新しいメニューを開拓できず、まだ十分に機能を活かしきれていない感じがある。 問題点を色々書いたが、調理に関しては放置で私の数倍うまくやってくれており、料理をしていてそこまで楽しさを感じない私としては買ってよかったと思えるものだった。 フライパン・鍋 ヘルシオを使っている人がこぞって推しているのでティファールの取手がとれるものを購入。 食洗機にも入れやすくこれにしてよかった。 ...
すみっコぐらしまちコラボ 下関 & すみっコぐらしルーム in ホテルニューオータニ ~博多~
すみっコぐらしとホテルニューオータニのコラボのため、東京か大阪か博多で4万ほど払って1泊することになった。 普段から足を伸ばせる東京で宿泊というのも味気ないので、移動費など他の費用もかさむが大阪か博多に行くことにした。 博多からのアクセスがある程度現実的な下関市でやっているすみっコぐらしコラボにも手を出せるので、博多に決めた。 前日 翌日朝7時20分の飛行機に乗らなければならなかったが、飲み会に誘われてしまった。 断ろうかとも思っていたが、上長に話しておきたいこと((今のエンジニアリングチームが抱える問題点など。))があったのと、新しく入社したインターン生とじっくり話す中々ない機会だったので参加した。 そのため睡眠時間は3時間程度だったし、その3時間も寝ているのか起きているのかわからないような状態だった。 飲み会自体は参加してよかったと思えるものだったが、この睡眠不足が後に重篤な問題を起こしてしまった。 下関 すみっコまちコラボでおすすめされていた以下の観光スポットを回っていくことにした。 功山寺 海響館 唐戸市場 角島大橋 毘沙ノ鼻 しかし角島大橋と毘沙ノ鼻はかなりアクセスが悪く、1日ではどちらか片方にしか行けなかった。 角島大橋も捨てがたかったが、せっかくすみ活をしに来ているので本州のすみっこに行かないわけにはいかないだろうと思い、毘沙ノ鼻を選んだ。 あとは気になっていた海響館とその近くの唐戸市場に行くことにした。 唐戸市場を歩いていたらちょうど揚げたてのふぐの唐揚げが売っていたので買ってみるとこれが中々おいしく、おかわりしてしまった。 1日中移動しっぱなしだったのでこれが下関でとった最後の食事になってしまったが、名物と言えるものを辛うじて口にできたのでよかった。 唐戸市場を出てからはバスで毘沙ノ鼻の近くまで移動した。 近くと言っても歩いて1時間弱はある。 これでも公共交通機関が通じている限りでは一番近い。 海沿いの道も多いので景色はいいのだが、道程はかなり厳しいものだった。 まず、この日の最高気温は35℃あり、15時半頃も33℃ほどはあった。 本州の最西端だけあって西陽が容赦なく照りつけ、海沿いにはそれを遮るものがない。 そんな道を20分ほど歩くと木陰に入るのだが、そこから先は毘沙ノ鼻までずっと登り坂になっている。 控えめに言って真夏に徒歩で来る場所ではなく、毘沙ノ鼻に着く頃には汗でずぶ濡れになってしまった。 ちなみに当初の予定では博多に先に行き、2日目に下関を回って帰ろうと考えていたが、アクセスが良い福岡空港から帰った方が余裕を持たせられると思い、下関を1日目に持ってきた。 もし2日目に下関を持ってきていたらずぶ濡れのまま飛行機に乗らなければならなかった可能性もあるため、英断だった。 歩いているうちに夕方になればいいと思っていたが、真夏だったので夕陽の時間には程遠かった。 とにかく暑く、毘沙ノ鼻に設置されていた自販機で飲み物を2本買ってその場で消費してしまった。 ただ、確かに景色はよく、帰り道は達成感に溢れていた。 ちなみに帰りは行きと同じバス停まで徒歩で戻ると大抵バスが出た直後に到着し、そこから1時間以上待たされるため、バス停ではなくこれまた本州最西端の駅である梅ヶ峠駅に向かった。 1時間強も歩けば着くが、途中から上り坂が長い間続き脚に追い打ちをかけてきたため、翌日は筋肉痛になった。 まだまだ回りたいところもあったが、福岡のホテルに移動しなければならず、午後6時頃下関を発った。 すみっコまちコラボで勧められていたスポットも回りきれていないので、11月のコラボが終了してしまう直前にもう一度来たいと思った。 博多 20時頃ホテルにチェックインした。 まともに食事をとっていなかったのでシャワーを浴びたらラーメンでも食べにいこうと思っていたのだが、披露が凄まじく、近くの銭湯((ユニットバスがあったが好きではないので使わなかった。))に行って帰ってからそのまま寝てしまった。 内装はとても気合が入っていた。 もともと睡眠時間が足りていなかったため8時間ほど寝ても疲れがひどく午後まで寝ていたかったが、チェックアウト期限の11時にホテルを出た。 朝食のバイキングで食べ過ぎたのか、昨日汗で身体を冷やしてしまったのか、体調もよくない。 下関での旅程は綿密に組んでいたものの博多での予定はそこまで考えていなかったので、太宰府と(2日連続水族館になってしまうが)マリンワールド海の中道を見に行くことにした。 正直言って博多で見たいものはあまりなく、私には都市部の観光よりも自然の観光スポットが多い場所の方が向いていると感じた。 太宰府に着いたものの気温が昨日に引き続き高くやっていられなかったので、参拝を済ませるなり足早に帰ってしまった。 少々もったいないことをしたが、やはり8月に外を出歩くのは得策ではない。 今回の旅行自体、ホテルニューオータニのコラボルームが予約受付を開始し次第部屋を取り、最初に予約が成功したタイミングで行こうとしたら最初の8月に取れてしまったので来ただけであり、特別の事情が無ければ秋以降にずらしたかった。 すみっコぐらし堂にも寄ったが、店舗限定のとかげの苺のぶらさげぬいぐるみの在庫が無く残念だった。 ちょうど1ヶ月前にオンラインで販売し、そちらに在庫が回されてしまったのだろうか。 商売の都合はあるのだろうが、十分な在庫を確保せず現地に足を運んだ人を蔑ろにするのは憤りを感じてしまった。 マリンワールドを一通り回ったところで、ちょうどいい時間になってきたので空港に向かった。 旅程を組んでいなかったので移動時間が長くなってしまったが、ホテルニューオータニのコラボが一番の目的だったので、特に思い残すこともなかった。 空港に向かう前に今度こそ博多ラーメンを食べていこうかと思ったが、フライトの1時間前には空港に到着しておきたかったので見送りとなった。 幸い空港に竹乃屋のレストランがあったので、名物の鶏皮だけ食べた。 ...
館山
去る3/15、館山でサイクリングをしてきた。 4月まで有給消化だが、天気予報を見ると3月後半は天気の悪い日ばかりで、その日を逃すと晴天と言える日はしばらく無さそうだったのでいいタイミングだった。 コースは駅前で自転車を借りて海沿いに沖ノ島、洲崎神社、野島崎を巡ってまた駅前に戻ってくるコースにした。 11時頃、自転車の貸出手続きを終え、沖ノ島に出発した。 何かあるというわけではないが、水の透明度が高く、夏に海水浴でもしたら気持ちがよいだろうなと思った。 小さな洞窟もあり、なかなかのフォトスポットだった。 島の外周をひとまわりしたところで気が済み次の目的地である洲崎神社に向かったが、途中トラブルがあった。 積もった砂の上に自転車で乗り上げてしまい、車輪が砂にとられたために私の身体は自転車から投げ出された。 顔と脚が地面に叩きつけられ、前歯が地面に削られる感覚がはっきりとあった。 結果として、顔の数ヶ所に傷を負い、両膝を打撲した。 前歯も1ヶ所欠けてしまったのでかかりつけの歯科医にすぐさま連絡したところ、翌日の予約が取れたのは不幸中の幸いだった。 もう10数年くらいここまでの怪我をしたことは無かったのではないかと思うほどの負傷だったが、後ろには車が普通に走行していたことを考えれば、轢かれなかった上に骨折なども無しというのはまだツイていたと言う他ないだろう。 特に腕を負傷しPCの操作ができないということになれば、仕事の変わり目ということもありどうなっていたかわからない。 数ヶ月無職になっても耐えられる程度の蓄えはあるが、苦しかっただろう。 膝の痛みで自転車をこぐのが辛くここで引き返そうとも考えたが、嫌な思い出だけが強く残ったまま帰るのも癪だったので旅程を続行することにした。 顔の傷の大部分はマスクをしていれば隠せる位置だったのも都合がよかった。 洲崎神社に到着すると、負傷した脚に堪える長い階段が待ち受けていた。 ひとまず、先のトラブルで生死や今後の生活に関わるほどの負傷が無かったことへの感謝を伝え、顔の傷がきれいに治るのと欠けた歯がくっつくことを祈った。 洲崎神社を出た頃、既に午後3時を回っていた。 17時までに自転車を返却しなければならず、最後の目的地である野島崎まで16kmほどあり、更に館山駅に戻るにも16kmほどあるため、残念だがここで引き返すのが賢明だろうと思えた。 しかし、今回諦めたら果たしてもう一度ここに来る気力が起こるか疑問だったので、そのまま野島崎に向かった。 打撲した箇所は相変わらず痛いし、サドルも硬くて尻が痛くなり、電動アシストもついていたがかなり苦しい道のりになってしまった。 16時手前になってようやく野島崎に到着し、房総半島最南端を20分程度でスピード観光した。 灯台に入れるようだったので入ってみたが、途中から階段が急な上に1人しか通れないほど足場が狭くなったので上るのに苦労した。 一通りの場所を見てからは館山駅に向けて自転車を飛ばしたが、16時半を回ったところで明らかに間に合わないだろうと判断し、店に10分程度遅れることを連絡し詫びた。 私のせいで少し残業する羽目になってしまったにも関わらず、怪我を心配して下さった上に絆創膏なども頂き、感謝しか無かった。 ただ、それはそれとして、今後は高かったり時間の都合が付きづらかったとしても旅先ではより安全な交通手段を使おうと決意した。 特に都市部以外の道の整備が不十分な地域では、今回のように道の上に障害物があったり、そもそも歩道が狭くて車道にはみ出ざるを得ないことも多かった。 この記事を書いている現時点で、怪我の後始末に10〜15kほどかかっている。 その程度で済んでよかったとは思うが、それでもそのようなことに金を使うのであればバスや、それができないならタクシーにでも乗っていればよかったのだ。 今後の教訓とする。